『オセロ』 NT Live

12/12〜17日まで上映していたナショナルシアターライブ『オセロ』を6日連続で見ました。
http://www.ntlive.jp/
同じ作品をあいだをおいて6回以上見たことはあっても、日課のように見たのは初めてでした。短期間にのめりこみやすい私には合っていた気がします(笑)毎日発見がありましたし、結局は初日と最終日では感じ方が変化してました。ツイッターのお友達が常日頃「映像もナマ物!」と言ってる意味が実感できました。

演出:ニコラス・ハイトナー、 オセロ:エイドリアン・レスター、イアーゴ:ローリー・キニア、デズデモーナ:オリヴィア・ヴァイナル、エミリア:リンジー・マーシャル

オセロー―シェイクスピア全集〈13〉 (ちくま文庫)

オセロー―シェイクスピア全集〈13〉 (ちくま文庫)

舞台は現代、おそらくイラク戦争中のイギリス軍。キプロスでのオセロの執務室に掲げられてる地図がアラビア半島がメイン、定時になるとアザーンイスラム教のお祈りの時間を告げるもの)が流れ、オセロとイアーゴが飲むミネラルウォーターにはアラビア語の文字があることから、この舞台での「キプロス」はイラクのイギリス駐留基地だと思われる。

多少のカットはあるけれど(道化の登場なし)、セリフはほぼそのままで、話し方でこれだけ現代的になるんだ!というのがまずは驚きだった。とくにデズデモーナとエミリアシェイクスピア劇独特の女性の話し方はおっとりしていて、あまり意思というのものが伝わってこないと感じていたから余計に、今回の女性たちは明確な意思を持った、生きてる人間として立ち上がってきた。それがとても嬉しかった。


<第一幕>
ブラバンショーがオセロに人種差別的発言をするところ、決まって周囲が居心地の悪い、好ましくないという態度を表すことで、この劇が従来の『オセロ』のように人種差別的憎悪がテーマではないことがわかる。

オセロが公爵や議員のまえでデズデモーナとの経緯を語るシーンは、レスターさんの落ち着いた声のトーンとノーブルな話し方に惚れ惚れするところ。命からがら困難をかいくぐってきたオセロの波乱万丈な人生は、酒宴での鉄板ネタ武勇伝になっていたのに、心から同情してくれたデズデモーナの優しさに触れたとき恋が芽生えたわけで、そのときのことを思い出して少し涙ぐみながら話すレスターさん…きゅん。

そのあと状況を何も知らずに連れてこられたデズデモーナが会議室に入ってきて、居並ぶお偉方にぎょっとし、すぐにオセロを認めて顔をゆるめるオリヴィアさん…きゅん。今後の生活について、「ハイハイ!」って元気よく手あげたのもすごく可愛い。天使。「戦場についていく!」と勇ましく宣言することや、オセロの人生に同情したとき「わたしも生まれ変わるなら、こういう人間になりたい」と言うことから、デズデモーナは従順でおとなしいお嬢様ではなく、精神的に自立し、聡明で強い女性なんだと感じる。

まあ、でもこの戦場に二人で行きます宣言してるときの議員や公爵たちは「うんうん、わかったわかった、好きにするといいよ。それより急を要するから早く戦地に行ってね」という雰囲気があり可笑しい。

あと面白いのが、こんな国防の重要な会議に副官であるキャシオーはいないのに、イアーゴは同席してるんだよね(存在感を消して、部屋の隅で待機してる)。イアーゴがオセロから絶大なる信頼を得ていること、本来の右腕的役割をずっとしてきたんだろうとわかる。これ、イアーゴはいろんな情報収集ができて、人間関係も把握できて、悪知恵働かせるのに役に立っただろうなあ…。だって、ここに同席してるからブラバンショーの呪いの言葉が聞けるんだもんね。呪いの言葉とは、 She has deviced her farther, and may thee. (父親のことを欺いたのだから、お前のことも欺くだろう) これは三幕三場でイアーゴがオセロを騙すときに効果的に使われる。人のことをよく観察して、誰が何を言ったかをよく記憶してるのだ。

イアーゴの第一独白、 I hate the Moor.の頬の筋肉のこまやかな震え…!ああ、ハムレットでわたしがキニアさんに恋に落ちた表情筋だわ!シェイクスピア劇には同じ台詞を何度か繰り返すところあり、それをどう言うのかにいつも注目しているのですが、ハムレット第一独白での、キニアさんが二度目の God を天に向かって言った瞬間、わたしは恋に落ちまして、Words, words, words. でさらに好きになったのです。で、イアーゴですよ。どうやってオセロを罠にかけるか考えるイアーゴの How? How? のところ!声といい、Let me see.の閃きの目つきといい、あーん!好き!!ってなりました。(put money in thy purse.も自然に挿入されてたなあ。ロドリーゴへのPut money enough in your purse.は Make money! になってて、その言い方が面白かった)



<第二幕>
キプロス到着。モンターノが敬礼しているのに、それを完全無視してデズデモーナにまっしぐらオセロ。そのあと愛を朗々と謳いあげキス、いちゃいちゃ…居合わせた兵士たちが気まずそうに目線外すの面白かった。バカップル…。

よくわからなかった言葉は一場でのイアーゴ独白、For I fear Cassio with my night-cap too - 松岡和子さんの翻訳だと「キャシオーも俺の寝間着を横取りしたらしい」、字幕だと「キャシオーも信用ならない」。翻訳のほうだとエミリアがキャシオーとも寝たってこと?と拡大解釈したくなるんだけど。四幕での「柳の歌」シーンでの、浮気で夫を帝王にできるなら…というエミリアの言葉から、一幕冒頭に言及されてるイアーゴを副官に推薦した3人の有力者は、全部エミリアがお膳立てしたんじゃないのかなあ…とか勘ぐってしまった。

キャシオーが泥酔してるセリフ(突然に発せられる「神はお許しになる」とか「こっちは左手…こっちは右手」とか)、戯曲読んでるだけだとわかってなかったが、演じられると「ああ、そうかあ!」と膝を打つ酔っ払い特有の辻褄の合わなさなんだねえ!400年経っても酔っ払いの変わらなさよ(笑)!
イアーゴがキャシオーにデズデモーナに取り入って復職させてもらいなとアドバイス(入れ知恵)するシーン、キャシオー退場後に言う Divinity of hell! の「hell」で右目をウインクするキニアさん!!ひいぃぃぃーー!!HP削られる。
そして最後、イアーゴがインスタントコーヒーを淹れる(その前にはキャシオーにも淹れてあげる)。酔いを冷ますなら水のほうがいいのに(舞台にはミネラルウォーターもある)、なんでかなーと思って見てたらイアーゴの最後の台詞 Dull not device by coldness and delay. にかかるの見事だった。「by coldness」のところでコーヒーの紙コップに目線を落とす。かっこいいいい。

舞台セット、駐留基地らしいコンテナセットは面白かったけど、あれは劇場で見ると死角が多そうなのと、狭いところに人が集まってしまい窮屈そうに見えた。実際はどうだったんだろう。こういう箱なセット、バレエ『天井桟敷の人々』のときも見切れる席が多そうだったから。
あーでも、窮屈そうに見えるというのはこの作品では大事なことなのかも?上映中にも流れた舞台裏インタビューでも触れられていたけど、臨戦態勢でキプロス入りしたのに戦争はすでに終わってて、あとはやることもなく、ただ退屈で待つのみ…という閉塞感を,このセットがよく表してるのかもしれない。

喧嘩シーンのリハーサル


<第三幕>
デズデモーナがキャシオーの復職をオセロにお願いするところ、ここオリヴィアさんはとても上手だった。ちょっと不審なくらい熱心にお願いするわけだけど、それってデズデモーナがまだ10代(ここの設定では18歳)で、オセロから愛されてる自信もあるからなおさら、無邪気にわがままが言える。「こんなのお願いのうちに入らないわ!」と言いのけちゃう。本当にかわいいんだ…どんなわがままもきいてしまうよ。

いよいよイアーゴがオセロに「奥様とキャシオーに用心しなさい」と猜疑心という毒を注ぎ込むシーン。「あぁマズいな…」と気を持たせて「いやいや、気にしないでください」「わたしの思い過ごしですから…」と言葉を濁す。こんなこと言われたら誰だって「続けろよ!思ってること全部言えよ!」ってなるよね(笑)

ここのキニアさんの演技は尋常ではない。善人顔で近づいて、実はひたひたと毒を満たしてる。特筆すべきは、過剰なまでにユーモラスに演じてること。鑑賞3日目でようやく気づくことは最後のほうに書きますが、ハンカチをエミリアから奪ったあとの小躍りを筆頭に、この三場で観客をたくさん笑わせてる。わたしはここを鑑賞初日に見たとき「悲劇と喜劇の境界線は複雑に入りくんでいる、または溶け合っているんだなあ」なんて感心したのですが、そんなものではなかった。


で、本筋に戻る。河合祥一郎さんの本を読んだらシェイクスピアの時代には人は視覚によってだけでなく、想像力によってもものごとを見ると認識されていたという記述があり、そうなると、イアーゴが言葉巧みにオセロに植えつけたデズデモーナの浮気シーンというのは、もはや妄想ではなく、彼の中では二度と書き換えられない事実になってるんだろうなと思った。だから今の感覚で「妄想にとらわれて〜」と見るとオセロが滑稽に映ってしまうけど、そのあとの四・五幕はオセロにとっては絶望しかない、切ないところなんだと思う。三幕でイアーゴは「キャシオーが寝言でデズデモーナの裏切りを言った」とか、口づけした、太ももに脚をおいたとか、四幕では「裸で添い寝するだけなら浮気じゃないでしょ?」とか、物凄くディテールの細かいことを言う。これは本当にうまいやり方で、一度想像してしまったら、もうオセロにとっては現場を目撃したことと同じこと。だからイアーゴの言葉に耳を塞ぐようにレスターさんがしゃがみこんで「やめてくれ」ってなってるところ、あれは完全に見えちゃってるんだろうな…。

デズデモーナとの食事から帰ってきたオセロがイアーゴに「罠にはめたな!」ってキレるところ、デズデモーナを信じたいしイアーゴのことも信じたい、二つに引き裂かれる様子に胸が潰れる。ギリギリの精神状態。レスターオセロは知的で自信に溢れてノーブルだったのに、あそこまで人は易々と愚かに転落していくこと…そのあいだを行きつ戻りつしてる苦しさが迫ってくる。イアーゴからハンカチのこと聞かされたあたりから、レスターさんの顔がげっそりしていくんだよね。。初めの会議室での威厳は見る影もない。すごい。四幕冒頭ではすっかり主導権をイアーゴが握ってる。



ほかの演出はどうなのか確認しなきゃと思ったのは、三幕最後のイアーゴのセリフ I am your own for ever. をオセロが去ってからイアーゴは言ってる。戯曲を読んでるときは相手に対面して言うセリフだと思ってたから、独り言なんだあ…と新鮮であった。
けれどローレンス・オリヴィエ版「オセロ」もハイトナー版と同じく、オセロが去ってから、ハンカチをぎゅっと握りしめてこのセリフだった。
ケネス・ブラナーがイアーゴを演じた映画版(監督・脚本はオリバー・パーカー。ドリアングレイ撮った方)は、その前の誓言するときに二人とも掌を剣で切り、血を出して握手をする。すると二人の血が混じりあうわけで、大変エロい、ブロマンスシーン。そして抱き合ったまま I am your own for ever. しかもブラナーのイアーゴは感極まってるような表情をして、すがりつくようにオセロを抱きしめて言う。…ごちそうさまです…なシーンです。



休憩中に流れた舞台裏動画
この作品の舞台が軍隊であることの意味。軍人同士だからそこの結びつきの強さが、オセロが騙されるいちばんの要因であること。
実際に士官だった人のアドバイスをもらいながら、軍服の着こなしまで指導してもらったのに、キニアさんはいつもだらしなく着てて、何度注意しても直さなかったと(笑)それこそがイアーゴらしさなんだとわかってもらえたようだけど。



三幕四場は休憩後。休憩中に兵士たちとサッカーで遊ぶデズデモーナ。


オセロはデズデモーナを my fair warrior, my sweet, my dear love, sweeting, chuck, my girl などと呼びかけているが、猜疑心が生まれたこの三幕四場は目線を合わせず、しかし言葉だけは慇懃にmy good lady と呼ぶ。そのときオリヴィアさんは「?」という表情した。そんなふうに丁寧に呼ばれたことがないから、おや?って思いつつ、冗談を言ったのかな?と笑いながら my good lord とオセロと対になるように返す(松岡さん「深読み」本には、翻訳ではmy lord も my good lord もどちらも「あなた」であったからニュアンスが伝わらず、「あなた」と「旦那様」に改訂したというエピソードが書いてあった。ここ蒼井優の天才女優ぶりがわかるエピソードです。ファン必読)。だから、そのあとの手がしめってるのは多情のしるし云々の嫌味も、途中まで冗談かと思って聞き流してて、いやいやこれは違う!何を言ってるの?と変化していくオリヴィアさんの表情がよい。「ハンカチ出せ!」一辺倒のオセロに、「はぐらかさないで!いまはキャシオーの話をするんでしょ」と一歩も引かず、対等に喧嘩するデズデモーナ…あぁわたしの中のデズデモーナが生き生きしてるわあ…。

深読みシェイクスピア (新潮選書)

深読みシェイクスピア (新潮選書)


<第四幕>
四幕トイレシーン。意識が混濁して呂律が回らなくなってるオセロが吐いて、とうとう昏倒してしまう。熱中症の症状っぽい。で、ここのキニアさんですよ。ここも素晴らしい演技でしたね…。声色変えて、面白く my lord って呼び掛けながら、倒れてるオセロにコップの水を指でぴゃっぴゃとかける。観客は大いに笑う。うん、わたしも初日は笑った。でもその次の瞬間、Othello! と怒鳴りながら足蹴にするんだよ…倒れてる人を…ぞっとする。こんな強度で他人を恨んだことがない、わたしには想像もできない感情に無理やり触れさせられたような気がして凍りついた。

公衆の面前でオセロから叩かれ、暴言を吐かれ、部屋を検分され、怒鳴られるデズデモーナ。夫の理不尽な暴力に怯えて「叱られる私が悪いんだわ」と完全にDV被害者の心理になってるデズデモーナ。ショックのあまりに、エミリアの言葉が聞こえず呆然としているところなど胸が潰れる。 


三場ヴェニスから来たロドヴィーゴたちを接待したところからの帰り道、その場の全員が手を隠してるの気になった。デズデモーナもズボンのポッケに両手を突っ込んでるし、オセロは後ろに手を組んで、手のひらを見せない。あれは意図のある演出だと思うのだけど、どういう意味があるのだろう?本心を隠しながらの食事会であったことが示唆されてるのかな。
そのあとデッキチェアに座ってデズデモーナとエミリアのWillow Song のシーン、これはざっくばらんなガールズトークで、とてもよいシーンだった。デズデモーナは苦悩を知り、もはや無邪気なお嬢さんではなく、大人の女性になっている。エミリアと身分関係なく対等に向き合ってる。「聞いてはいたけど、男って!男って!!」とビールをぐびっと飲んで、手の甲で口を拭うデズデモーナが男前(笑)


<第五幕>
こうして生き生きと描かれたデズデモーナが殺される五幕は、心の底から打ちのめされた。「今夜は生かして!あと30分だけでも!」と生にしがみつくセリフと絶叫が、耳から離れない。それなのに絶命するときにはオセロを庇って嘘つくのよね…。懺悔なしに嘘をついたら地獄へ行くってわかってるのに。

松岡さん翻訳のあとがきで触れられていたことだが、シェイクスピアで my girl と呼び掛けてるのは6人で、そのほとんどが父から娘への呼び掛け、夫婦でそう呼んだのはオセロだけだとのこと。だから二人は親子並みに年の差があり、キャシオーの復職をお願いするところもデズデモーナの子供っぽい一途さを表す描写なのだと。オセロがそう呼び掛けてるのは、最後デズデモーナを殺したあと Cold, cold, my girl! ってところ。レスターさんは呼び掛けながら、寝てる子供のお布団を直すように、デズデモーナの肩まで布団を引き上げる。布団をかけても生き返らないのよ!もうずっと冷たいままなのよ!それでも、わかってても、寒くないようにお布団引き上げるの…。
何が何でもこの手で殺すという決意と、デズデモーナの美しさのまえに躊躇するオセロの愛憎が一瞬一瞬入れ替わるので、演じてるほうもつらいだろうなあ…。見てるだけのわたしもつらかったよ…。




3日目以降のわたし覚書

初見だとあまりの豹変ぶりと、その滑稽なまでの大袈裟な詩的表現が可笑しいと感じた三幕三場だけれど(映画館でも笑う人が多かった)、デズデモーナとの食事から戻ってきたオセロが「ポンティック海の滔々たる流れの氷のような潮流が決して逆流することなく…」から誓言するところで必ず泣くようになってしまった…。わたしこそ、何も知らなかった頃へもう戻れないわ…だってここ、二人のその後の人生が転落する、まさにてっぺんのところよ…。とても悲しいところよ…。


前半もそうだけど、イアーゴの独白のたびに、観客は人の心を弄び、見下して、鼻で笑うイアーゴと心理的に近づいてくる。罠をかけてるところで笑えば笑うほど、イアーゴと同化していく。だからキニアさんは余計に面白い仕草や表情をする。客が窮地のオセロを笑うように。笑った結果どうなったか、最後のシーンを客にも引き受けさせるために!
おそろしい!あの結果の責任の一端は観客も負ってるんだ。
ほんとにおそろしい役者だな…と背筋凍らせながら見ているので、ずーーーんと沈んでしまいます。はあ…キニアさんは聡明だなあ。怖いなあ。素敵だなあ!素晴らしい俳優だなあ!!


イアーゴははじめは昇進を見送ったオセロの結婚がダメになれば「ざまあみろだぜ」というような些細な復讐心でブラバンショー宅へ行ったのに、そこで結果がでなかったのと、「父を欺くのだから、きっとオセロのことも裏切るだろう」というブラバンショー(呪い)の言葉をヒントに策を巡らすわけだよね。
毒が効きすぎて猜疑心の塊になったオセロから、キャシオーの殺害を命じられるハンカチのシーン、キニアさんの表情がすっと引くんだよ。もう自分では止められない事態になってきたと認識してる。
戦争で人を殺してきていても、たぶん彼は知り合いを殺したことはない。悪知恵で金を巻き上げたりするのは得意だけど、人を殺して心が痛まないというような非人間的なところまではいってない。だから I am your own for ever. はオセロの前ではなく、独りになってから言う。あれは覚悟であって、もう戻れなくなったぞと自分に言い聞かせてるんだなとわたしは解釈した。


そうは覚悟はしてもイアーゴは、キャシオーをロドリーゴに、デズデモーナをオセロに殺させようと策を練る。自分の手を汚すのは回避したい。結果的にはロドリーゴエミリアを殺すけど、万策尽きたゆえの…って感じだし、最後3人の遺体が横たわるベッドを見つめる表情からしても、こんな光景を見ることになるとは思ってもなかったはず。
そうそう、四幕のデズデモーナに泣かれたとき、イアーゴは慰めるためにガシガシと力任せにさすってるけど、あれはコントロールできなくなってきた状況への、イアーゴのストレスの発露かな?とも思った。もとが粗野な男だから…というのもあるだろうけど、貧乏ゆすりと同じで、心の平安を取り戻すための無意識の仕草のような気がする。キニアさんなら、やりかねない。


はあ…というわけで長大な感想文はこれで以上です。NTLiveはDVDにならなくていいわ…ってようやく納得した。これ、呑気が具現化した我家では再生できない。拘束されて、まばたきも躊躇うほど集中して見るやつだ。しかし、もしも、もしも発売されたら買うけどね!!

来年もこのナショナルシアターライブは継続するとのことで、来年はどんな演目がみられるのか?非常に楽しみです!!