ブレス・オブ・ライフ〜女の肖像〜 @新国立劇場小劇場

すっかりご無沙汰でした。
10/12(日)に新国立劇場で上演しているデイヴィッド・ヘア作の二人芝居「ブレス・オブ・ライフ〜女の肖像〜」(原題:The Breath Of Life)を見てきました。

作:デイヴィッド・ヘア、翻訳:鴇澤麻由子、演出:蓬莱竜太
美術:伊藤雅子、照明:中川隆一、音響:長野朋美、衣裳:前田文子
キャスト マデリン:若村麻由美、フランシス:久世星佳
新国立劇場HPより引用抜粋http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/141008_003729.html


「ブレスオブライフ」はとある男(マーティン)の元妻が、長年夫と関係していた元愛人の家を訪ねて一晩語り明かす二人芝居。一時期その男を共有していたという敵対と、同じ男を好きだったという共感、そして自分の人生を振り返ったとき去来する感情がぐるぐる渦巻いて、次の瞬間にはどの感情がやってくるかわからないという緊張感のある作品だった。二人の会話がすっごく面白い!

妻vs愛人というと嫉妬でギラギラというイメージを与えるけれど、そうではなくて、マーティンとの関係は女二人の「過去」の箱にとりあえずは入れられている。女性として張り合う気持ちよりも、生き方が正反対であった二人が会話を通じて自分の人生を振り返ったとき、自分が手にした物、他者が手にした物と否応なく対峙する、そのときにどんな感情を抱くか、という話だと思った。泣けてくるような切ない台詞もたくさんあった。

ウィキペディアによると「The Breath Of Life」初演は2002年、ロンドンのロイヤルヘイマーケット劇場にてマデリン役にジュディ・デンチ、フランシス役にマギー・スミスで上演されたようだ。すごいキャスト!この丁々発止のやりとりを大女優で、生の舞台で見られたら、震えるでしょうね。。
当時のプログラムには、「中年と呼ぶには年を重ね、しかしまだ老年とも言えない、その中間にいる女性二人それぞれの長い過去と未来への期待を書きたかった」とヘアの記述があるようで、今回のキャストだとまだ現役バリバリという美しさと活力があるから、ところどころ台詞にちぐはぐな印象を受けた。

この日は上演後にキャスト二人と演出家、それと新国立劇場・演劇部門の芸術監督4人でのアフタートークがあり、そこで演出家の蓬莱さんは「まだまだ若い女優が演じることによって皮肉がもっと効いてくるだろう」と意図してキャスティングしたとおっしゃっていたけど、それがうまくいってるようにはあまり思えなかった。60代くらいの女優が言ったほうがもっと面白くて、そしてもっと哀切が滲み出るんじゃないかなあ…と想像する。

今回はいちから翻訳をし、丁寧に読み解いたとのことで、翻訳物特有の妙な言い回しが少なくて、それはとてもよかった。これからいろんな女優の組み合わせで再演を重ねていけるといいなと思う。若村さんと久世さんでも日々演じていて同じ日がない、とおっしゃっていたけど、本当にこの作品は何度見ても楽しめる強さがあると思う。通いつめて、日々の変化をつぶさに観察したい(笑)

ハロルド・ピンター「昔の日々」では「この人のためなら人生狂ってもいい!」と思わせたエロチックな若村さんだったが、今回の「ブレスオブライフ」では全く違う、仰ぎ見るようなかっこいい女性だった。印象ががらりと変わって、さすがです。この日はあまり調子が良くなさそうだったけど、それでもエキサイティングだった。あと存在感に華があるよねえ、美しかったわ。
わたしはてっきり若村さんのことを「憑依系女優」かと思ってたけど、アフタートークで「台詞の理屈がわからないと口にできない。なぜ、この言葉を言うのか?と理解し納得できないと先に進めない。この本は”なぜ?”と思う台詞が多くて大変だった」とおっしゃってて、意外!。質問の意図を的確に捉えて、それを自分にいちばん適切な言葉で伝えようとする聡明さを感じた。
一方、久世さんは「台詞の意味がわかんなくても言ってみよう、やってみよう」と進めていく人で、作品の役柄そのままに正反対の二人!のんびり、おっとりしてらして、トークの間もぼんやりしてたら若村さんに「寝てるの!?」と突っ込まれてた(笑)話している様子に久世さんの根気強くて優しい人柄が滲み出ていた。この二人の女優を年若い演出家が苦労して、この舞台を作り上げたんだなー(笑)3人のバランスが微笑ましかった。

そうそう、演出家の蓬莱さんが「そもそも男同士だったらこんな状況にならない(自分の妻に愛人がいたとして、その愛人と話したいと思わない)し、突然訪ねてうっかり居眠りなんかしないし(元妻が寝ちゃうのw)、泊まることになってもパジャマ借りたいしない(笑)」と言ってたけど、でも私にはこの描写は「あるある」だなあー違和感ない!
実際にそんな状況になったことはないけど(これから先はわからないw)、相手がどんな立場の女性であっても、パジャマ貸したり借りたりするのって、ありえる。夜遅くなって帰る手段はないのだし、泊まることが確定した時点で「メイク落とす?パジャマは?」みたいな会話はとても自然なことだなって思った。
これは中年以降女性特有の図々しさなのかも?もしくは心地よくするための貪欲さ。元愛人の家だし、二人は友達でもなんでもない、なぜ今こうして二人でいるかも分からない奇妙な状況下にあっても、身繕いして心地よくなりたい欲求。二人の関係性とは切り離して、寝たりご飯食べたりできること。

あと劇中には名前だけ登場するマーティン、この男は悪いオトコよーー(笑)クセが強くて媚びなくて、飄々としてて、とても魅力的。「あああああ…こういうのにハマる気持ちわかる…」で、ハマったらそうそう他にはいけないことも容易に想像できる。この男を好きだった二人だから、なんだかんだで意気投合してしまうというか、妙な一晩を過ごせたんだろうな。