トークセッション「シェイクスピアは同時代人?」

新国立劇場のマンスリー・プロジェクトのトークセッション「シェイクスピアは同時代人?」にて、「テンペスト」の演出をした白井晃さんと、ちくま文庫でのシェイクスピア全集を手がける翻訳家の松岡和子さん、お二人のお話を伺ってきました。


松岡さん:
シェイクスピアを翻訳しようなどとは「これっぽっちも思ってなかった」「小田島訳に親しんできたし、それでいいじゃないかと思っていた」そうだ。ただシアターコクーンで「真夏の夜の夢」を上演するときに演出家の串田和美さんから翻訳を依頼され、それをきっかけに次々シェイクスピアの翻訳をするようになったと。

はじめのうちは「既存の翻訳の、日本語のアップデート」でいいだろうと思っていたけれど、原作を読み込むうちに翻訳しきれていない人間関係や人称(thouとyouの違い)などが気になり、解釈にまで踏み込まなくてはいけなくなった。(ちくま文庫の全集は版を重ねるたびに手直しもするし、注釈も増やしているそうだ)


シェイクスピアが400年、時代を越えてきた理由は「言葉」と「人物造形」
シェイクスピアの戯曲にはほぼすべて元ネタがあり、プロットは丸パクリであったり、時代考証がずさんだったりするが、その元ネタと読み比べると面白さはまったく異なる。それはシェイクスピアの語らせる言葉とキャラクターの作り方が違うから。現代にある話の原型がある。たとえば「恋は障害があると燃え上がる」、今では当然のように認識されてるが、ロミオとジュリエットで「恋を燃え上がらせるためには禁忌が必要」だと明確に提示されている。あの結晶のような純度の恋は禁忌あってこそ。


Tempestという単語はStormよりも比較的新しい言葉(14世紀くらいには出てきたらしい)で、嵐の大きさの違いを表しているわけではなさそう。シェイクスピアはなんとなくTempestのほうがオシャレ、とかそんな気分でつけたのかもしれないと想像する。

今回上演された「テンペスト」については、初めて通しをみせてもらったとき大号泣するほど感動し、ひとりスタンディングオーベーションだった。今まで見てきた言葉なのに、初めて聴くように感じられた言葉があり、それはやはり自分の成長や状況によって受け取れるものが変化していくということだろう。
女神たちが結婚式で祝福する言葉は、そのままプロスペローの、または子どもをもち、孫を見守りたいわたしの祈りでもある。女神たちの感情を込めない話し方がとてもよかった(白井さんが無機質に話してと演出している。役者はどうしても意味を説明しようとしてしまうが、彼女たちダンサーはそのまま台詞を言ってくれたので勉強になったと)



白井さん:
★「この世は舞台、人はみな役者」というシェイクスピアの言葉は自分の根底にも流れている
シェイクスピアベケットと並んで、ずっと聖域のように感じていて、触れずにいたとろこがある。とくに若い頃はシェイクスピアなど高尚な…と、もっと卑近なものをやろうとしていた。しかし初めてオペラ「オテロ」を演出したときは、男の嫉妬という感情の普遍性に、これならできるのではないかと思った。新国立劇場から「テンペスト」の演出を依頼されたときには「オテロ」演出の話がきてるときでもあり(しかし新国立の担当者はそれを知らず、白井さんがシェイクスピアに初挑戦!くらいの気持ちで依頼したそう)、2作目で「テンペスト」か…とうとう来たかという気持ちがあった。

正直「テンペスト」を読むと、「ふーーん、で?」となる作品ではある(笑)(松岡さんもマイナーな作品と言っていた)大きな物語展開もなく、演出するのは難しい。ただ、プロスペローの個人史と考えれば、流れ着いた孤島は「記憶の集積地」、プロスペローが仕掛ける嵐は時間の嵐ではないのかと考え、説明的すぎると思いつつも冒頭の嵐のときに時計のボーンボーンという音や、解放するときにも時計を入れた。インスピレーションを大事にするので、はじめにプロスペローが水を操るところは思い浮かんだそのまま。

プロスペローとエアリエルの親密さはどこからくるのかと考えたとき、生まれなかった息子がいたとして、その彼に話しかける=自分自身への言葉なのではないかと考えた。プロスペローはエアリエルにとても大事なことを言っているが、それは独り言のようである。人生の最後に差しかかっているプロスペローが、記憶の集積地で過去を振り返っている。(わたしが”ダスキンのレディーメイド””ブックオフの店員”と例えたエプロン女性たちは遺品整理人をイメージしているそうだ!)

エアリエルは生まれる前の世界、キャリバンは死の世界の象徴。死の象徴であるキャリバンを皆がからかったり、軽い気持ちで扱うところが好き。孤島に辿りつき、目の前には死が迫っているのに、それを重く捉えないところが。

エアリエルの造形については、稽古中に碓井くんがとても自由そうに動き回っていて、制約を与えたほうが彼のなかに本当に自由を求める心が生まれるのではないかと考え、車椅子、脚の固定具の装着になった。


松岡さん:
★Free=自由
今回お芝居を見て改めて気がついたことは、Freeという言葉の多さ。シェイクスピア作品のなかで「テンペスト」は最多12回「Free」が使われ、そのすべてが「自由」という意味である。次点の「Free」頻出作品は「オテロ」だが、「気前がいい」いうような意味でも使われ、必ずしも「自由」ではない。それだけ「テンペスト」は自由、解放を求める作品であること。


シェイクスピアの台詞の効果
松岡さん:役者さんには「感情が言葉から引き出されるまで待って」とお願いしている。
白井さん:言葉が感情を連れてくる。「マクベス」に出演したとき、稽古を始めたばかりのころは台詞が身体に入ってこず、難儀した。台詞が感情を堰き止めてしまう。しかし、それがいったん自分の血肉になると、自分でも思いもよらなかった感情が引き起こされ、それがとても気持ち良くなる。


ずっと「こんな台詞に役者は感情を込められるのか?」と不思議であったシェイクスピアの台詞が、まさかこんな効果があるとは想像してなかっただけに、白井さんの「言葉が感情を連れてくる」という体験談が聞けたことは、わたしにとって本当に大収穫でした。

1時間半あっという間で、もっともっとお話聞きたかった。やはり何かを知りたいと思ったら、対象へ愛がある人、深く理解してる人の話を聞くがいちばんの近道というか、肝を教えてもらえるなと思いました。つるつるの壁であったシェイクスピアにちょっと凹凸ができて、握ったり、足をかけたりして、よじ登る取っ掛かりができた気持ちがしました。

そして、この話を聞いてからまた劇を見たら、もっともっと受け取れるものがあっただろうなと思いますが、記憶を遡って脳内再生しようと思います。