テンペスト @新国立劇場中劇場

シェイクスピアの戯曲を読んでるだけでは全然わからない(ほんとにこれっぽっちもおもしろいと思えない、理解できない)ので、演じられてこその戯曲だろうと思い、ちゃんとほんとの舞台を観てみようと、ちょうど新国立劇場でやっている「テンペスト」を見にいきました。

テンペスト
作:ウィリアム・シェイクスピア 翻訳:松岡和子
演出:白井 晃 美術:小竹信節 照明:勝柴次朗 音響:井上正弘 音楽:mama!milk

プロスペロー(前ミラノ大公):古谷一行ミランダ:高野志穂、エアリエル:碓井将大、キャリバン:河内大和
アロンゾー(ナポリ王):田山涼成、アントーニオ:長谷川初範(ミラノ大公)、セバスチャン(ナポリ王の弟):羽場裕一ファーディナンド:伊礼彼方、ゴンザーロー:山野 史人、トリンキュロー:野間口徹、ステファノー:櫻井章喜
女神:依田朋子、福島彩子、酒井幸菜

あらすじは、前ミラノ大公であったプロスペローは引きこもって魔術の研究などをしているうちに弟であるアントーニオに権力を奪われ、幼子ミランダとともに国を追放され、とある小島へ辿りつく。12年後、弟と共謀したナポリ王たちが乗る船が難破し、乗組員全員がその小島へ打ち上げられる。嵐も船の難破もプロスペローが復讐のために仕組んだ魔術によるものだが、最後にはすべてを許し、故郷ミラノへ戻るという感じなのだけど、これ読んでると、ほんとにつまんないの!プロスペローの言葉が滑っていくの。だいたい怨んでることからして大して怨んでなさそうだし、赦すにしても、それまでの葛藤はなんもないし、妖精エアリエルや怪物キャリバンへの仕打ちも酷いし、主人公なはずなのにちっとも魅力的じゃない。エアリエルの健気さがかわいいくらい。さらに強いてあげるなら、計略をかけた狡賢い弟アントーニオと、それにそそのかされるセバスチャンが人間らしくて好感もてるくらいです。


いざ会場。中劇場の10列目くらいまで潰して座席と舞台が地続きであったので驚きました。なぜなら、そのためにわたしの席が最前列のど真ん中になっていたからです(笑)ひぃっ「シェイクスピアつまんない!」て言ってるやつがこんな席で見ていいんですかね…不安。

がらんとしたところにスタンドライトひとつ。無音のままプロスペローが登場し、水をあやつる様子がプロジェクションマッピングで舞台というか床に映し出される。車椅子のエアリエルも登場。これが一番驚いたかも。プロスペローに心理的に拘束されているという描写で、最後の解放を思うと納得するし、あと車椅子の移動のほうが歩くよりは速いので、広い舞台を動き回るエアリエルに適してるかも。スーーッと移動していくのは妖精っぽいとも言えるか?

次に大きな台車というか滑車つき筏のようなものに大小のダンボールが積まれたセットがごごごおーとたくさん登場。工事現場の作業員のような服をきた男性たちがダンボールでセットを作り上げていく。このダンボールは船になったり、岩屋になったり、様々変容していくし、ダンボールのなかには実際に小道具が入っており、場面に合わせて本や布や衣服が出てくる。

音楽はオルガン、コントラバスアコーディオン、パーカッションの生演奏で、場面により舞台上で演奏される。楽器の特徴を生かしたフォークロア調の音楽が多かったかな。

演出で気になったことは、女神たちが初期のころからセットのなかにいてエプロンをして本を出したり、ダンボール並べたりしてるんだけど、もうそれがどうしたってブックオフの店員やら引越し業者、ダスキンレディーメイドっぽく見えるのよ…女神のシーンはそれなりに衣装をつけるんだけど、そこも本を読んでて「あーこれ舞台化されると陳腐なシーンだろうな」と懸念していたことがそのままであったこと。これは舞台演劇というものが「実現可能な範囲で想像を見せる」という制約があるから仕方ないことだけど…。

俳優さんたちはほんとに皆さん上手なんだけど(テレビで見てるような人たちがたった3メートルくらいのところで演じてるわけですし)、でも、わたしの理解が及ばないので、どうしても、これ本当にやりたい作品なのか?面白いと思ってやってますか?という気持ちになってしまう。実際どうかわかるはずもないが、役者と作品のあいだにも距離がありそうにわたしには見えてしまう。この本で感情が動くのか?と。

言葉で伝えることの難しさを思う。先日のロイヤルバレエの「冬物語」、本は同じようにひどかったけど(ええ、シェイクスピア無知なので)、バレエは言葉がないぶん、それに縛られることがない。音楽と身体で表現されるものはダイレクトに観客の感情にコネクトできる。言葉は呪いだが、魔法にはならない。そして音楽は魔法である。そんなことを強く感じた。

わたしは話の内容を問題にしてるわけではないんだけど、昔の話はたいてい酷いものだし。今つくられる物語、小説のほうがよっぽど洗練され、かつ複雑な構成で読み応えがあると思うので、古典にそういうのを期待してるわけではないのです。そうわかってるのに、それでもつまんないシェイクスピア

何世紀にもわたってシェイクスピアを生かしてきたものはなんなのか?(今年は生誕450年ですよ)なにが時代を越えさせてるのか?心底不思議でたまらないので、今後も課題として取り組んで行こうと思いました。シェイクスピアは「音」であるから、原文で読まないと(または原文で演じてもらわないと)魅力が伝わらないのかもなあと薄々気づいてますが、さすがに古語に取り組む気力はないので専ら日本語で。

最後にわたしが本を読んでて頭抱えたいほど「これは…演じるの難しい!」と思ったエピローグのメタ的セリフ、さすがの古谷さんということか、じんわりと余韻を残しながら劇を〆たので、それには感動しました。読んでるときに「これどういう気持ちで言うの?」って本気で悩んだから。あとエアリエル役の碓井将大さん、キャリバン役の河内大和さんがとくに素晴らしかったので、機会があれば違う作品で演じる姿を見たいと思いました。