スペシャリスト―自覚なき殺戮者

ユーロスペースで上映中の「スペシャリスト―自覚なき殺戮者」を見てきました。
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=531
1961年にイスラエルで行われたアドルフ・アイヒマンの裁判の記録映像を編集したもの。映画「ハンナ・アーレント」を見ようと思っているので、その前に「イエルサレムアイヒマン」の本人がどんな人だったのか見ておこうと。

冒頭と最後はおどろおどろしい音楽がついて「いかにも」な演出が過剰でしたが、ほとんどは裁判記録をそのまま使っており、2時間20分の鑑賞時間は正直眠気を誘うときもありました。その原因は、ユダヤ人を強制収容所へ送った、とても残虐な行為を裁く場であるにもかかわらず本人にその自覚がまったくない(あるいは見せない)、淡々と言い逃れしていくのが、いまの日本の国会中継みたいというか…。ときおり傍聴席から罵声がでたりするのだけど、それも頷けるのだけど、もし被害者であったなら、こんなにも無自覚に悪が為されていたことに、その場にいられないような、怒りを通り越す虚無を感じるのではないか。

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

まだ「イエルサレムアイヒマン」は読んでない。というか、ナチ関連の本は怖すぎてあまり読んだことがない。ああ、でもこの裁判映像みて、ひとつわかるのは、どんな悪事であっても道ができてしまえば止まらないということ。止めるきっかけを自分が作ることはできない、いや可能であるかもしれないが、やりたくないと思うだろう。わたしもまた「代替可能なひとり」に成り下がるのだろうな、と。そうならないために考えることが必要。