イラン関連本5

さきほどツイッターで、“オペラ座の怪人と本が好きならば、スーザン・ケイの「ファントム」は猛烈におすすめします!!後悔させないわ!つまんなかったら、わたしが買い取ってやるわ!”ってつぶやいたら、すぐさま「ぽちりました」とかメンションいただいたり、ふぁぼられたりと反応がありまして、ちょっと戸惑ってます。大丈夫ですか?わたし返本にあえぐ問屋みたいにならないでしょうね(笑)?みなさん、本を楽しんでください、どうかどうか(祈)


さて、ひさしぶりのイラン本紹介。

今回はfeat.翻訳家です!そのお方の名は石井啓一郎さん。会社勤めをしながらイランやトルコの現代文学の研究家、翻訳家として活躍されていらっしゃるのですが、なぜ石井さんのことが気になるかといえば…ずばり、熱い!情熱の翻訳家でいらっしゃるのですよ。いや、ご本人が実際どういう方なのかは、もちろん存じ上げませんけれど、作品を読めばわかります!

まずわたしがイランを知りたいと思って図書館で借りてきた本は、生活文化紹介本や中高生向けの歴史書イスラーム革命のころを描いた漫画でした(左の本のタグでソートされます)。なにも知らないのだから判りやすいものを…と選び、ある程度歴史や文化をインプットしたあとで、次はやはり文学だろう、と思いました。小説を読むとその国ならではの会話や生活、価値観みたいなものを知ることができるかなと、イラン現代文学を代表する作家だというサーデグ・ヘダーヤトの作品を2冊借りました。

生埋め―ある狂人の手記より (文学の冒険)

生埋め―ある狂人の手記より (文学の冒険)

サーデグ・ヘダーヤト短篇集

サーデグ・ヘダーヤト短篇集

どちらも石井さんが翻訳されてるのですが、まず最初の「凡例」からして詳細(以下、短篇集のことです)。日本語にはないペルシア語の発音をいかにカタカナで表記したかが詳しく説明されています。

ページをめくって作品を読み始めれば、註釈の充実ぶりに驚きます。これだけ読んでてもイランの歴史や文化、生活習慣、風俗などを知ることができると言っても過言ではないくらい。

そしてわたしが石井さんを信頼する理由へのダメ押しが最後のヘダーヤトの略伝、そしてあとがきにあります。…翻訳家のあとがきで号泣したことなんか、生まれて初めてですよ…。以下長いですが引用させてください。

(略)現在のイランをめぐっては、どうしてもこれだけは言いたい。イランは、少なくとも正当な理由もなく「欧米」という窓口を通して伝わる一面的な情報だけから、「イラン」を毛嫌いする人々が想像するような、「狂信的戒律」と「官製の反米主義」に縛られ、一種の恐怖政治の下に人々が息を潜めて暮らすような国とは確実に異なっていると思う。確かに「イラン」は西欧的民主主義の模範的伝道者ではないが、かと言って「悪の枢軸」などという、おおよそ品性を欠き煽情的な修辞のみによって決め付けられるような「暴力と抑圧に国民があえぐ、非民主的圧制国家」などでもない。(中略)
ただ、異なる価値観や立場によって政治的な対立構造(或いはより端的に一種の危機)を前にしたときに、その解決を単純化された両極的な二項対立の図式に還元し、しかも一極側の視座のみを「米欧」という窓から見るだけで安心する。それは基本的には知的怠慢、あるいは知性の頽廃である。

ゼロ年代に出版されたイラン本のあとがきには、けっこうな確率で“イランは「悪の枢軸国」なんかじゃない、先入観を持たずに、もっと関心をもって情報を得て欲しい”という研究者の訴えをよく見るんだけれど、石井さんのはとりわけ切実さがあって、胸を打った。愛ですよ。だって仕事をしながらも、ちゃんとイランへ赴いて各所を歩き回って研究してるんですよ。この短篇集の表紙や扉の写真も石井さんが撮影したものなんですよ?そりゃ買うよね!すぐさま発注します。

イランの文学といえば「詩文」なので短篇集を読む前は、小説よりも古い詩集がほしいと思っていたのだけれど、有名な詩が引用されていたり、ヘダーヤトの詩も入っているので、さすがイラン文化は詩とともにあるのだな!と感心しました。


マルチリンガルの外国語学習法  (扶桑社新書)

マルチリンガルの外国語学習法 (扶桑社新書)

あと石井さんの手がけた本はないのかしら?と大型書店で検索したら新書を発見。学習法と銘打ってるけれど、どちらかといえば10数カ国語をあやつる石井さんの言語論。いろんな言葉を知っているからこその関連付けとか、トリビア的におもしろいです!小学生のころからイタリアやフランス語のオペラに親しんでいたという石井さん…ほんとにおもしろそうな方!お話伺いたい〜。トークショーとかしないだろうか…。