イラン関連本1

先週のこと、ラミンが(ってまた…)「ペルシャ人・イラン人はアラブ人と歴史も文化も違う。韓国人が日本人と違うように」ってツイートしてた。わたしの世界史は高校一年で終わっているが*1、かすかな記憶をたどり、サーサーン朝ペルシア*2ってアーリア人の国だっけ?*3アラブ人に侵攻されてアッバース朝ができたんだっけ?ペルシア語ってインド・ヨーロッパ語族アラビア語とはまた別だったっけ?とあやふやな情報を思い出し、あぁでもぜんぜん知らないなあ…ということで、図書館でイラン関係本を一気借り。


とりあえず読了した本を以下。

子ども向け。在イランの小学生に取材もしてる。写真が多い、薄い本。
イラン (世界の国ぐにの歴史)

イラン (世界の国ぐにの歴史)

中学生向けかな。200ページほどの、さらっとした歴史と文化の紹介。
ペルセポリスI イランの少女マルジ

ペルセポリスI イランの少女マルジ

1979年のイランにおけるイスラム革命前後の話をマンガにしたもの。版画風の絵がテーマにとてもよくあっている。テヘランのフランス語学校に通っていた1969年生まれの著者が、自由で豊かだった世の中が、イスラム革命とイラン・イラク戦争によってどんどん生活が息苦しくなる様子を真摯に伝えている。*4

ラミンは1978年、イスラム革命の前年生まれだ。イスラム教が国教にされ、宗教者が国の最高指導者に、地方でも識字率が低かったがために指導的役割をしたのはイスラム系の宗教者だった。ラミンのご両親がどういう立場だったかは知らないが、今ラミンはクリスチャンであると思われるので、そういう世の中の動きを見て、信仰する宗教が違えばこのままこの国で生きていくのは先がない、とご両親が判断したであろうことは容易に想像がつく。さらに、12歳になれば男子は兵役にとられるということも決断の大きな要素だったかもしれない。*5

1980-83年まで国境は封鎖されていたから、ラミン家族が出国したのはそれ以降と思われる。ラミンはインタビューで「小さい頃だったから両親の苦労はわからなかった。大人になってやっとお父さんが当時の苦労を話すようになった」というようなことを言ってるし、12歳にはもうカナダでコルム・ウィルキンソンのファントムを見ているし、イランを出国したあと3年はイタリアで過ごしていることから、5才前後くらいでイランを出てるんだろうなあと勝手に推測。

それでも「イラン人はアラブ人と違う」って発言するからには、しっかり彼のなかにイラン人としてもアイデンティティが確立してるんだろう。で、イラン関係本に目を通すとですね、「イラン人はアラブ人と一緒にされるのは侮辱されてるのと同じこと」みたいな言葉が目につくわけです。彼らにとってアラブ人は「侵入者」でしかないから。そういう背景があって、ラミンが「韓国人が日本人とは違うように」と引き合いに出したことを考えると、日本人のわたしとしてはいろいろ複雑な思いも抱きつつ、でも、そういうことを言えるということはラミンは極東の歴史にもそこそこ明るいのかしら…と思ったり(贔屓目…)、というわけで冬休みはイランの勉強に使われる予定です。

そうそう、上記マンガに「ラミン」という名前の男の子が出てくるので、あぁラミンってイランらしい名前なんだなあとわかって、ちょっと嬉しかった。
しかしイギリスのイラン人向けテレビ局(?)「スター誕生」方式勝ち抜き音楽番組にゲスト出演してる映像*6みたら、「ラミネ」と発音されてたなあ。

*1:センター試験は日本史選択

*2:わたしが習った頃はササン朝ペルシアだったけど、今は現地の発音にならってこう表記するらしい

*3:イランはペルシア語で「アーリア人の国」らしい

*4:彼女は前政権の皇帝の血を引いていたがために、親戚縁者には反政府的な活動で逮捕、獄死する人が多い

*5:このときのご両親の決断がなければ今こうして彼の歌声に歓喜していなかったのかもなあと思うと感慨深い

*6:http://youtu.be/f5UgtOx_zIo?t=1h2m20s