大好き月曜日

夫は無事に快復したようだ。出張疲れだったのか、手負いの野生動物のように寝続けていた土日。いたって健康なわたしも一緒になって寝てばかりいた。そのため迎えた月曜日は元気!週の初めはしゃっきりして、家事にも気合が入ります。今月中にやってしまいたかったことも何とか目途がついて(一部来月頭になっちゃったけど)、気分も軽い。

あと1週間か…あぁ無事復帰できるのかな…考えるといまからヘンな汗かくわ。しかし、働かないで遊んでばかりいるとものすごい勢いで貯金なくなるね☆びっくりした。たいして浪費してないと思っていたんだけど、洋服もかばんも買ってないし、旅行だってしてないし、実家しか行ってないし…ライブだって月1,2回で適正だと思うし、まあ靴は3足買いましたけど…。欲しいものがあるなら働け、ということか。

この3ヶ月間なんとなしに考えて思い至ったことは、働いてお金もらって使う、ということのシンプルさというか、わかりやすさはこれ以上ないな、ということ。ボランティアもいいんだけど、報酬の発生しないところで質を向上または継続・維持させることの難しさってあるな、とか。オペレーション次第で回ることのほうが多いのかもしれないけれど。(ボランティアは学生時代にしか経験してないので、今はどうなのかわからないで言ってます、すみません)

あと、誰かを助けたいと思ったとき、ある程度自分に手持ちがないと行動するまでに躊躇が生じるかもしれない、わたしの場合。明日食べるものがない状況で、目の前のおにぎりをあげられるまでは人間ができてないと自己懐疑。

そんな思考のなかで、お金の使い方の工夫というか、少ない手持ちでどこへの出費を優先させるのかということを決めておくのが大事だなと。いちばんはもちろん身近な人のために、とくに大事な人とは会いに行って、顔を見て話すことにかかる費用を惜しまない。

次は失くしたくないと思う才能への報酬、例えば音楽や文学、演劇、絵画、映画などの緊急時には二の次と思われがちなものを支える幾ばくかの力になりたい。あとそれと同じくらい大事だと思うのは、勉強したいと思ってる学生が金銭的な理由だけで進学を諦めないで済むように、奨学金制度への寄付。知識や教養は大学でなくとも蓄えられるかもしれないそれでも、学びたいと思う人には与えられてほしい。わたしが大学で得たものは、いまでも大事なわたしの一部だから余計にそう思う。

今のところ思いつくのはそれくらい。