一周忌

父の一周忌のために帰省していた。
3月の震災以来、5,8,9,10月と帰省しているけれど、今回は新幹線の本数が多くてびっくりした。通常運転のほかに連休の臨時便も出ていたみたい。インフラ復旧における日本の執念にも似た力、誇りみたいなものを改めて感じた。わたしがぼーっとしてても社会は動いてるから、普段はまったく気にしないけれど、何をとっても一つひとつを動かしてる人がいるわけだもの。すごいよ。

一周忌は秋晴れのもと滞りなく執り行われ、そのあとみんなで温泉宿泊。食事の席で、叔父(父の弟)が父の思い出を文章にしたのを読み上げてくれて、ちょっと泣けた。親戚で集まって飲むたびに政治的イデオロギーの違いによる兄弟喧嘩をしていた叔父が、父のことを「音楽が好きで、勤勉で、人を思いやることができる大きな人だった」と言ってるのが。父も叔父もアクの強い人で、二人の話はすごく面白いんだけど「いい大人が喧嘩するなよ」と娘はいつも思ってましたが(笑)

あとは母が「ここにいる皆さんは相手(パートナー)が生きてるんだから、生きてるうちに手を繋いでほしいわ。わたしはもっとお父さんと手を繋いで歩きたかった。名前でなんか呼んでくれなくて、いつも“おーい!”としか呼ばないし。それでもおじいちゃん(母の父)が亡くなったとき、火葬場で感情が溢れてしまって、とてもその場に居られないと外へ出たとき、お父さんが心配して後からついて来てくれて、ぎゅっと肩を抱いてくれたの。あれは本当に嬉しかった。」と思い出話。

うんうん、その光景をね、わたしも離れたところで見ていたよ。ノブオやるなあ!って思った。普段、愛情を大っぴらに表現する人ではなく、自分の趣味に没頭しすぎて、他人に興味あるのかすら疑わしいと思ってたから余計に。母方の祖父は人徳のある人で、地域の人からも頼りにされてたし、母はかなりファザコンだったと思うし、だからわたしたち孫もみんな大好きで、祖父のお葬式では親戚中が大声でわんわんと泣いて、泣きすぎておかしくなりそうな日だったんだけど、でも今は、そのときの父と母の背中をワンセットで思い出す。

人は亡くなってから受け渡すもののほうが、もしかしたら多いのかもなあと思った。生きて、目の前にいるときにはわからないものが、ある。生きてるうちに遺せたり、生きてるうちに相手に感謝を伝えられれば、いちばんいいのかもしれないけれど。死を美化しない、それでも命を終えるということはとんでもなく大きなことだった。これからも父が新しく教えてくれる。