帰省その2

会津涼しかった。関東に戻ってくるの本当にイヤだった。最寄駅に降りて猛烈な蝉の声を聴いてちょっとウツになりそうなくらいだった。会津も日中は暑いのだけど、夜になれば温度が下がる。窓を開けて寝ていると明け方肌寒いくらいで、あんなにぐっすり眠れたの、久しぶりだった。

到着した12日は姉1家族が実家に来てくれて宴会(馬刺しアリ)、5才の姪とマイケルDVDを見ながら踊ってヘトヘト*1、翌日は午前中にみんなでお墓参り、その足で日帰り温泉、カラオケ、甥姪だけ泊まったために引き続き子守りをして、今日は叔父夫婦の接待をちょこっとして帰途。

実家に帰ると「子どもと本気で遊んで、風呂入って、ビール飲んで、日付変わる前に寝て、自然と7時前には目覚める」という真っ当な生活ができる。なぜかネットも携帯も触らない、テレビも見るヒマないから、妙に健全な生活ができることは毎回不思議だ。

離れてみると、こうしてネットで日記書いて、誰ともなく見てもらうという行為の異常さがわかる。もちろん書くことは面白いし楽しいのだけど、その顕示欲ってなんなの…と自分で怖くもあるなあ。黙って日々を送ってるほうが、ちょっと格好いいもの。と思いつつも自宅に戻ればこうやって書かずにはいられないのだから困ったもんだ。



今回の帰省で印象に残っていること。
郡山で磐越西線に乗り換えたときに部活帰りの高校生が「あー、つかっちゃなー(疲れた)」と言ってるのが聞こえて、あぁ福島に帰ってきたんだわー方言すばらしい!と思った。

車窓からの景色でも青々とした一面の田んぼが見られて涙でそうになった。会津地方では土壌検査で暫定基準値を大きく下回っていたため作付けできた。野菜なども5月中旬以降からずっと不検出だし、同じ福島でも平和というか、ちょっと呑気に構えられるところがどうしてもあるのかもしれないと、母たちを見てて思う。新聞やニュースを見ていれば気がもめるし、当然ストレスはあるようだけれど。

7月末の集中豪雨で只見線の鉄橋が流されてしまったことのほうが、いまの会津地方的には大きな話題というかショックらしいとタクシー運転手さん談。ちなみに復旧には100億かかるとの試算、只見線の売上は一年間で1億円だとか…。

それでもやはり東北地方、知人や近所の人の親戚には浜通り、宮城、岩手で津波の被害にあった方も多く、叔母の知人の若い女性はちょうど春休みの帰省で宮城の実家にいるところ3月11日を向かえ、ご両親とともに彼岸を渡られた…。また別の方は津波から逃げることができたもののご病気のお父様を避難所で亡くされた…。そういう悲しい話はたくさんあった。

5才の姪が初めて手紙をくれた。どうやらわたしのことが大好きらしい。普段はお母さんべったりで、おばあちゃん家(つまりわたしの実家)には子どもだけで泊まらないのに、わたしがいるからとお兄ちゃんと一緒に泊まり、お風呂もわたしと一緒。子どもに嫌われやすいほうなので、こんなに懐かれるのは新鮮!

子どもとカラオケにいったのは初めてで、世代の格差になにを歌っていいものやら…と戸惑ったものの、そうだ!ここで歌わずどこで歌う!という曲があったではないか!!と猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』を選曲したら、子どもたちもみんな歌えて大合唱だった。ありがとう、猪苗代湖ズ!!

*1:帰省のたびにマイケルTシャツを着用したり、携帯待ち受け画面のマイケルを見せたりというサブリミナル効果により洗脳に成功。DVD喜んでくれた!甥は修学旅行で訪れたTDLで「まさわちゃんの好きなマイケルのがあったよ!」と報告してくれた。うむうむ、その調子でマイケルファンになってくれ