新盆

今日から会津へ帰省。今年の夏は新盆を迎える方がたくさんいらっしゃる。うちの父もそうだ。

不在というのはよくわからない。あまり実家に帰らなかったわたしは、父とは年に一度も会わないときもあったし、電話をしてももっぱら母と話して、父と改めて会話することなどほとんどなかったから、余計にその不在を確かめられずにいる。

このところNHKでは戦争検証番組を深夜に再放送している。連日夫婦でそれを観ていたのだけど、かつて兵士として極限状態を生き抜いてこられたおじいちゃんたちの証言番組で思ったこと、そのひとつに、父はこういうおじいちゃんらしいおじいちゃんにはなれないのだな、ということがある。

テレビ画面に映る、顔や手に深く刻まれたシワや点在するシミが、とても尊くみえた。長く生きることができた人に与えられるもの、それを父は受け取れなかった。傍からみれば「69歳、十分じゃないの」って思われるかもしれないけれど、もっとシワシワになった父を見たかった。老いて、小さくなり、衰えてしまったとしても、そういう父に会いたかった。死ぬということはもう会えないことだと、記憶は更新されないことだと、改めて思い知らされる。

突然に大切な人を奪われ、わたしよりももっともっと途方に暮れるような気持ちで生活している方が、東北にはたくさんいる。その誰かの大切な人だった御霊にも手を合わせてこようと思う。