八日目の蝉

原作大好きですし、ドラマもなかなか良かったですし、映画にまでしなくてもいいんじゃないのー(そっとしておいてーという老婆心)なんて思いつつも角田ファンですから、行きました。ネタバレしまくり罵詈雑言の数々ですから、ご注意くださいませ。



まず…裁判シーンから始まったことで「へ?」となる。この物語のテーマには犯罪が絡んでるけれども、でも犯罪そのものが重要なわけでなくむしろ、司法では補えない心情または善悪を超越したところの愛情がテーマで、偽母の希和子がそうせざるを得ないほど追いつめられていたという描写が丁寧になされなければ、この物語は根幹を失うのにもかかわらず、裁判での証言、被告人質問等であっさり終わってしまったがばかりに、そのあとにフラッシュバックのように挿入される過去のシーンにも、娘の視点で語られる現代シーンにも、まったく誰一人に感情移入できぬまま進行し、そして終わってしまった…。

なんだなんだこれ。原作はいまでもページ開いただけで「うぶぶぶ(涙)」となるというのに、まさかこの物語に1ミリも入れないことがあるだなんて!という嬉しくない衝撃走ったよ。2時間程度におさめるにはいろいろ端折って焦点をあわせる必要があるのに、なんだかあちこち手をつけて散漫で浅い。そのくせそこは詳細いらんだろというような、娘の恋愛シーンとか…劇団ひとりとラブシーンとか正直、真央ちゃんが無理やりされてるみたいで生理的嫌悪が…。どうしてもコントに見えるし、芸人さんがお芝居するのって難しい。ごくふつうの役者さんでよかったのでは…と切実に思った。

小豆島の風景、とくに棚田が美しかったくらいしか褒めポイントがない。一番ひどかったカットは、名古屋に逃げるという描写が名古屋城の空撮映像だったこと!いまどき2時間殺人ドラマくらいしかそんな古典的手法とらないよ。どこから借りてきたその映像!と問い詰めたい。そして田中泯の無駄遣い。泯さんかっこよかったな…。はあ、もったいない。

思うに、「いい子」ちゃん視点なんだと。「うんうん、みんなの気持ちわかるよ、それぞれ事情があるよね」という中立的視点が災いして、誰にも寄り添うことがない書割の連続の繋ぎ合わせになってしまっている、わたしはそういう印象をもった。物語ってのはもっと、個人的なものだと受け手に思わせる大胆さが必要なんではないのかな。ほかの「誰か」ではなく、「わたし」の物語だと思わせる力。その力が弱いと、伝えたいことが伝わらない。

あー!わたしはほんとうはこんなに貶したくないんだ。ものを創り上げるという作業はわたしも大好きだから、そういう人を応援したいから、ほんとはこんなこと言いたくないんだよー。でも大好きな原作だけに、なんかもやもやして気持ちがおさまらない。

以前に映画化された角田作品はとてもよかったので、それだけに残念。『空中庭園』はおすすめです。豊田監督が素晴らしいということなのかしらねぇ。はぁ。

空中庭園 通常版 [DVD]

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と、ここまで書いてアップしたけど、お風呂で考えてなおしてみた。
視点は一貫して娘・薫なんだけど、4歳まで愛された母は実は誘拐犯で、本当の家族のもとへ帰ったあと、つまりはもの心ついてからの疎外感、寄る辺なさ、自分は何者であるのかわからない不安定さが映画を支配しているから、原作の魅力のひとつであったスピード感が失われていて退屈だったんだ。薫視点だから過去と現在がいったりきたりする。希和子の本心が見えづらい。希和子と同じような状況になってみて、逃走ルートを追って、自分が愛されていた頃との邂逅があってのカタルシスってのがやりたかったんだよな。ドラマ版とは同じことができないという制約もあっただろうし、苦心はわかる。でもこれ希和子側の心理がわからないと、さっぱり通じない気がする。原作やドラマを見てない人たちが理解できたのかどうか。うーん。