帰省4/30-5/3


書きそびれていた4月の日記を遡って書いたので、帰省の話を。
地震以来初めての帰省で、移動中の地震への不安とかどんな福島の変化を受け止めることになるのかという妙な重苦しい気分でいたのだけど、無事会津に到着してみれば*1、はて?と思うくらいそのまま。もちろん瓦屋根が落ちたり、建物の壁に亀裂が入ったりしてる場所もあるし、駅周囲の雰囲気も連休中にしてはさみしい感じだったけれど、思ったよりも落ち着いていた。

テレビではずっとL字型に震災情報が流れてる(県内各地の放射線量、生活支援情報など)、なにかというと猪苗代湖ズが流れてるし、新聞では当然ながら原発事故の詳細について紙面が割かれているけれど、でもネットで情報を得ていたから目を引くものはとくになし。余震もたまたまではあるけれど、滞在中に会津では大きいものがなく、拍子抜けするほど普段の帰省と変わらない。

放射線量についても関東と同じレベル、またはそれより低いせいか深刻さは薄いようで、近所の人が西会津でとった山菜を持ってきたりして…えっと…市場を通したものならまだしもそういうのは…と思いながらも食べちゃいましたけれど。*2母には大人はいいとして、孫たちには家庭菜園のものは食卓にあげないようにと伝えたけど、万事こんな調子で、のんびり過ぎるくらいのんびり。情報は十分あるから、無知でのんびりしてるわけではないし、「浜通りはもうなくなっちゃうのかもしれないね…」なんて不安を口にするけど、どこかで自分たちは大丈夫と思ってるフシがある。母なんか、原発よりも磐梯山が噴火したほうが怖いというし…。う〜ん…。

なんでこんなにのんびりなのかなと考えてみて思ったことは、若松市内には大熊町役場の機能が移転してたり、避難所も3箇所あるし、賃貸住宅や旅館を借り上げて提供もしてるし、母たちも町内会で募金をしたり新品の衣類や文房具などを集めて寄付したりしてるせいか、自分たちも原発の被害者でありながら会津はすっかり「支援する側」なのだということ。こちらから見ると同じ「福島県」だから、あれこれ心配してるけど。

そう、同じ「福島県」だから観光客は減ってるし、すでに近県の小中学校90校で修学旅行先を会津から他の地域へ移したという話もあるので、姉1・2の家族と母とで芦ノ牧温泉に一泊した。地元民割安プランを母が予約したのだ。お料理に定評の在る宿だったので、大いに食べて飲みました。久しぶりに温泉も楽しめてよかった。本当なら父がいるときに、こうやって家族で旅行をしたかったけど。温泉の帰りにお墓参りをして、15年ぶりくらいに会津を桜を眺めました。

*1:新幹線乗車中に地震、急停車はあったけれど、2分程度で運転再開した

*2:ちなみに西会津産の山ウドは4/14採取のもので放射性物質はNDとの発表あり