働く人たち

昨日は午後から夫とふたりで街へ出た。とくに目的があったわけではないが、お腹も空いていたので外食をした。デパートの上階にある、とんかつ和幸。おやつの時間が近いというのに店内は混雑していて、わたしたちが入店したあとには待ち人もあったくらい。90席ほどあるフロアを若い女性3人で回している。ふつうの飲食店でもギリギリの人員だと思うのに、和幸は「ごはん・味噌汁・きゃべつがおかわり自由」なため、一度給仕すれば終わりでなく、常に目配りをして客の要望を聞かなければならない。わたしは飲食店でバイトしていたことがあるせいで、気配り目配りの足りないお店に出くわすと平静を装いながらも内心イライラして仕方ないのだが、この和幸の娘さん3人の動きにはまったく無駄がなく、動きを追っていると目が回りそうなほどきびきびしていた。かといって機械的な接客でもなく、ちゃんと客の顔をみて、ときには笑顔で受け応えてして、とんかつの美味しさもさることながら、その3人の誠実な接客にうっかり涙がでそうになった。

そのあと節電協力として派手な電飾や騒音まがいのBGMがなくなった家電量販店へ。夫がスマートフォンにしたいけど目当ての機種は予約がいっぱいで手に入らない。どうしたものかといろいろ見ているうちにGalaxySで手を打つことになったので、わたしもついでに小人のお弁当箱のような分厚いP904からスマートフォンへ一足飛び。今回の地震で情報収集にたいへん役立ったスマートフォンは需要が高まり、いまとても契約業務が多いようで、手続き終了までには2時間待ちとのことであった。でも、商品説明をしてくれた女性はとても気持ちのいい接客で、機種変更の手続きをしてくれた男性店員もすばらしい手際で仕事をこなしてくれたので、不満はない。待ち時間のあいだに外でお茶など飲んで、本屋をぷらりとできてちょうどよいくらいだった。

昨日わたしが垣間見ることができた“働く人たち”はほんとうに誠実で、感動すらおぼえるような人たちだった。こういうの災害後の一時的な感傷かもしれないが、日常を送ることができることは知らない誰かの働きに支えられてるんだと実感した。その“働き”とは対価を得る労働だけではない。家庭を支える人や、無邪気にあそぶ子どもだって、その存在が与えてくれる意味は大きい。やはり自分でも妙に善人ぶってると感じる。でも、この感情が一時的なものであったとしても、昨日わたしは確かに感じた。そのことはずっと記憶にとどめられる。