若さへの恐怖

週末夫から「身体が大きくなった?」と言われた。そんな言葉、相撲取りでもない限り喜ばないだろう。なぜ無邪気に言ってしまうのか。まったく命知らずなやつだ。「ダーリン、あなたの頭髪が砂漠化するのと同じように、わたしの身体も中年らしくなるのだよ」と応えたら、頭を抱えて慄いていた。ふふふ。

体重は変化しなくとも、肩の辺りが丸みを帯びて、二の腕も太くなり、まったく冴えない身体になりつつある。しかし老化は今に始まったことではない。頭のてっぺんから順に、白髪、頬肉のたるみ、首筋のしわ、肩・二の腕・下腹の贅肉、おしりと太ももの境界線が曖昧、かかとの角質…とあげたらきりがない。

先日アンチエイジング化粧品のサンプルをもらう機会があった。この冬の、がびがびに乾燥した中であってもクリームを塗り忘れるわたしではあるが、タダに弱い小市民なのでさっそく風呂上りに使ってみた。渡されたサンプルのケースはけっこう厚みがあったので何日分入っているのだろう?ずいぶん気前がいい会社だと思っていたのだけど、開けてみれば2日分で、見当が外れた。その代わり1日分のステップが美容液、化粧水、乳液、クリーム、美容液…と、どんだけ塗るのだ!という罠。それぞれ何がどう違うものなのか、さっぱりわからないばかりか順番さえも覚えられる気がしない。サンプルには親切にも塗る順番の数字が書かれていたので、思考停止したまま数字通りに塗りたくった。

はぁ、世の中の「エイジレスな女性」はコレ、やってるんでしょうか。こういう弛まぬ努力が実っているのでしょうね。でも、わたしはいいわ…。

小学校5年のとき、わたしのクラスの社会科の授業は教頭先生が受け持っていた。この先生は加齢によるスキンヘッドに銀縁メガネ、三つ揃えのピンストライプスーツにカフス、懐中時計、ピカピカに磨かれた革靴、神経質そうな鋭い目つき…とどっから見ても教師ではなく、どちらかといえばインテリ○クザな風貌であったので、子どもたちからは相当に恐れられていた。わたしは「社会科係」だったので、授業の始まる前の休み時間に教頭のもとへ教材などを取りに行き、「次の授業お願いします」と言わなければならなかった。はじめのうちは恐る恐るだったが、そのうち慣れてきていろんな話しをして、とても面白い先生だとわかり大好きになった。

その教頭がある日言った「君たちのお母さん世代の女性に、お若いですねと言うと大抵嬉しがる。しかしそれはすべて見た目への賛辞ではないことを覚えておかなければならない。若いという言葉は、未熟である・軽率である意味をも含むのだ。君たちが大人になって、お若いですねといわれたら、至らないことがあったのだろうかと省みることはあっても、有頂天に喜んでいてはいけない」と。

なんでこんな話しになったのか全然覚えてない。こんなこと「若さ」真っ盛りの小学生に言ってどれだけ伝わるのかわからないが、それでもわたしはずーーと覚えていて、だからこそトラウマのように「若い」といわれることを恐れているふしがある。もともと童顔で、いまの職場でも学生バイトと間違われたりすることもあるのだが、嬉しくない。頭悪そうな態度だっただろうか…と自問してしまう。ですので、これからもアンチ・アンチエイジングで!身体が大きくなっても、かかとがガッサガサでも、ホウレイ線がくっきりしても、年齢相応の見た目と中身を手に入れたい!*1

*1:いや、見苦しくない程度にはいたいんだけども…