べきべき

陽射しが暖かくて穏やかな一日。しかし明日は崩れるらしい?ネットニュースの見出し「センター試験当日、大荒れに」とあり、ついつい受験生が暴動を起こす様子を想像してしまう。成人式のニュース的な。センター試験にまつわるわたしの思い出は、試験中に鉛筆を落としたり、消しゴムのカスを払おうとしてマークシートを飛ばしてしまったことです。静まりかえった教室に響く、鉛筆の転がる乾いた音。カンカラカンコンコーン…。音もなく舞い落ちていくスローモーションのマークシート…。いい思い出です。

図書館から借りてきた本、読み始めたもののあんまりおもしろくないかも…?いや、おもしろいんだろうけど読むのが面倒だなと思わせる文章なので読みたくないかも?というようなとき、みなさんはどうしているのだろうか。いままでは読書初心者として勤勉に、退屈と思っても本に慣れるため出来るだけ読みきることを目標にしていたのだけど、今年は好きな本だけ読むと決めたので、やめてもいいだろうかどうしようか。“思うよりも人生は短い”と思えばさっさと次へ行くべきであり、“どんなことにも意味がある、ムダなことなどないのだよ”と思えば読み切るべきである。しかしこの「べき」って言葉は胡散臭いものだ。押し付けがましい。自分で自分に遣うのにも押し付けがましいのに、他人に遣ったら終わりだ。

バレンタインの日に行われる鶴瓶さんと上原ひろみのライブチケットが取れた。今回もひとり参加。ひとり行動が板について、夫とふたりで何かを鑑賞するというのは考えただけで腰が引けるほどになってしまった。もともと夫は人の集まる場所が嫌いなので、コンサートだの美術館へ足を運ばない。付き合いはじめのころ「日曜日の渋谷の美術館」という、かなりハードルの高い場所へ連れ出してしまい、そのときは夫もわがままを言わず素直についてきたが、いま振り返るとたいへんに悪いことをしたと反省する。だいたい夫は絵など興味がない。そんな人が存在するということにすら、わたしは気づきもしなかった。絵や音楽、芝居は誰しもが好きで、機会があれば触れたいと思っていると信じていた。狭い世界で生きていた、若かりし頃のわたし。
先日書いて改めて思い返してみたら、交際とほぼ同時に一緒に暮らすようになったのは夫が出無精だからだ。わざわざ「デート」をするのは面倒くさい、でも会いたいのだから暮らしてしまおう、そんなノリだった。いかがなものか?その代わり、わたしが好きなときに好きな場所へ行くことを咎めたりしないので、わたしは糸がのびきった凧のようにふらふらと出かけている。明日もライブチケットをネット予約するために早起き*1しなければならない。

*1:午前10時ですけどね。休日は昼まで寝ていることが多いので…