ボクらの時代

目覚めたら7時10分だったので、オンエアで『ボクらの時代』を見た。見逃した10分は録画で確認した。河瀬さんは自然分娩の映画を撮ったのもあって妊娠の話になったのかな。3人のなかで「産んでいない」角田さんの言葉がとても印象に残った。“母の時代のことだったら(自分の今の年齢)43歳の女性で子どもがいなければ「産まなかった」人だったけど、今は45歳で出産する人もいる。贅沢な悩みなのかもしれないがいつまで「産むか、産まないか」を悩めばいいのだろう”
この「産むか、産まないか」は言い換えれば「不妊治療するか、しないか」とほぼ同じだろうと思う。ほんとにね、選択肢が広がったのは喜ばしいことなのかもしれないけど、わたしがいつも引っかかってるのはその選択肢を選ばないことへの後ろめたさだ。治療が広く知られるようになって、努力をすれば得られるものをあえて「しない」を選ぶこと。なぜしないのか?への答えをいつも用意しておかなければならないような、責められてるような気持ちが勝手にしてしまう。健全じゃないな、と自分で思う。
あとマリナが“子どもを産んで、死ぬのが怖くなくなった”と言うのに対して角田さんが“子どもによって新たな時間軸を得られるからじゃないか。自分だけの時間軸でなく、自分が死んでからも繋がっていると思うから”というところ、わたしが父の死に際して甥や姪を見て感じたことと同じだと思った。父の肉体はなくなったけれど、この子たちのなかには父がいて、そしてこの先も繋げてくれる。それに気づいたとき、ものすごく安心したんだった。
小さい頃から子どもが嫌いで、小中学生のときは同級生も苦手で(笑)、親戚の年下の子とは遊びもしなかったから当然、子どもからも嫌われてたんだけど、いまや甥姪が可愛くてしかたない。今回も3歳児にストーキングされ(笑)、5歳児とお風呂に入り、両親さえも許されることは滅多にないという高難度の洗髪もしてやり、存分に「子育てごっこ」をしてきた。ある程度そういう欲求が満たされてしまう環境があるから、本気になれないのかしらん。無責任に可愛がれる子どもの存在って、ほんとに力になるの。すでに孫気分なんだな。