ヤノマミ

劇場版が公開されたときに見逃して、もちろんテレビ用のも観てなくて、しかし話だけは映画を観た知人から聞いてて興味を持ち、今年書籍が出版され図書館にも入荷してやっと順番が回ってきた国分拓『ヤノマミ』を読み終えた。

ヤノマミ

ヤノマミ

アマゾンの最深部に1万年以上、独自の文化・風習を守り続けている部族がいる。欧米人に“最後の石器人”と呼ばれているヤノマミ族だ。現在、ヤノマミ族は2万人。40〜200人で一つの集団を作り、ブラジルとベネズエラにまたがる広大なジャングルに分散して暮らしている。撮影陣はその一つ、ワトリキ(風の地)と呼ばれる集落に150日間同居し、彼らの言葉を覚え、彼らから分けてもらった食料を主に食べながら撮影を続けた。森の中、女だけの出産、胎児の胎盤を森に吊るす儀礼、2ヶ月以上続く祝祭、森の精霊が憑依し集団トランス状態で行われるシャーマニズム、集団でのサル狩り、深夜突然始まる男女の踊り、大らかな性、白蟻に食させることで天上に送る埋葬…。そこには、私たちの内なる記憶が呼び覚まされるような世界があった。

読みやすい文章でするする読めた。生活・風習などから始まり、ワトリキ住民のそれぞれのキャラクター紹介と読み手の興味が湧きやすい記述から、精霊信仰や生死観、ワトリキを創設したシャボリ・バタ(偉大なるシャーマンの意)の流転の物語と、読み進むごとにどんどん濃密に、壮大になる構成が良かった。終盤の「文明」との折り合いについては、明らかな正解がないだけに難しくて、人によって意見が変わるだろうと思った。
けど、生活・風習が全く違うアマゾンの奥地まで、出向いて布教活動するキリスト教徒って一体なんなのだろうかと思った。精霊信仰を否定し改宗させて、改宗派と土着信仰派との不要な諍いの種を植え付ける。それって本当に神様やイエス様が望んでいることなんだろうか、と自問自答しないのだろうか。信仰がその土地に根付くには必然性みたいなものがあると思っているので、違う文化圏までどやどやと押しかけていくやり方にどうしても嫌悪感がある。

ヤノマミの生死観は本当に興味深くて、死者の名前は絶対に口にしない(だから全員が違う名前)、生前使っていたものや縁のものをすべて遺体とともに火葬し、骨は囲炉裏の下に埋めて、一年後にはその骨を掘り起こしてバナナと一緒に煮込んで食べるとか、ヤノマミ(人間の意)として生が尽きても精霊となり、精霊のいのちを終えたら虫となって地上にまた生まれ死ぬという輪廻転生とか、そのいちいちに「ほへぇ〜」と感嘆の声が漏れる。一番すごいのは出産にまつわる話だが、それは読んでください。劇場版はDVDになってるのを知ったけど、いやーこれ映像で見せられたら、受け止められるだろうかと不安。