駆ける少年

今年の「映画初め」は夫とふたりで「ホビット」でした。その感想を書こうかな〜なんて思っていたのに、今日渋谷へ行く用事があり、せっかく「都会」まで来たなら単館映画でも観ないと…と田舎モノの貧乏性でうっかりアミール・ナデリ監督『駆ける少年』を観てしまったら!すべての映画が吹っ飛んだ。

今年ベストワン!(もう!?)なんてものじゃなく、人生でも指折りに入る映画との出合いでした。

観たばかりで映像がフラッシュバックしまくり、言語化するのがほんとうに難しい状況なのだけど…だってツイッターに書いた第一声が「駆ける少年、すげー映画だったよ!ものすごかったよ!あんな映画初めて見た!ほんとは監督に抱きつきたいくらいだったけど我慢して感想だけ書いてきた。」「ああ、駆ける少年…!にゃあ!どうしてくれよう!わー!イラン映画すごいなあ。キアロスタミの「桜桃の味」観たときも、わあ狂ってるーと思ったけど、それ以上にすごい。あんな絵、あんな筋、思いつかないよ。しかも映画でしか表現できないと素人のわたしにでもわかる!なんかすごかった!」という、わたしの語彙の貧困さを余すところなく露呈させてたもん(笑)


「映画でしか伝えられない」というのを初めて体感した映画でした。これまでわたしは映画の見方をよくわからないで観てたかも。ドラマの延長というか、ストーリーを伝えるもの、としてしか認識してなかった。

しかしナデリ監督の映画で「映像が言語化する」ってこういうことか!ってわかった。ほとんどセリフらしいセリフはない。ただただ少年が走ってる。叫んでる。でも言葉で語られずとも、画面は豊かに語りかけてくる。こんな体験は本当に初めてだった。

パンフレットに監督直筆の脚本があり、それは地平線と、そこから関数グラフのような1本の放物線が左から右上に伸びて、左には少年、右上には飛行機らしきものがくしゃっと書かれていて、たったこれだけ。言葉から映像を立ち上げる、その翻訳作業がないんだなあ…と、いや詳細はちゃんと言語化してるんだと思うけど、やはり言葉よりも映像が浮かぶ人なんだろうなと。

おっかしくておかしくて、クスクス笑ってしまう。とてつもない怒りに触れて泣けてしまう。最後はもうただただ心が震えてボロボロ泣いてた。それは「○○だったから」と明確な言葉では表現しようのない感情だったと思う。アミールと一緒にうわああああああと叫んで走り出したい。


監督は日本映画に造詣が深く、この作品も黒澤・小津・溝口監督の影響があるとご自身でおっしゃっていたけれど、わたしは残念ながら3方いずれの作品もちゃんと鑑賞したことがない。イラン映画から立ち返って日本を知るきっかけになろうとは。ナデリ監督は日本大好きで、この上映中も映画館に来て(日本で年越ししてる!)、スクリーンの前でほぼ毎回挨拶して、パンフレットにサインして握手して、観客の感想を聞いて…としているそうです。世界の巨匠なのに、なんて健気…。わたしもサインと握手をしていただきました。あぁ、もう一度観にいこうかな。

http://runner-movie.net/


驚いたことに、この映画にまつわるツイートをまとめたものがあり、わたしのツイートも編集されておりました。まさかのトップバッターまで(笑)光栄です。皆さんの感想を読んでいると、また観たくなるなあ…。http://togetter.com/li/436148