今年もよろしくおねがいします

平成24年、2012年だそうで。わたしは数字のなかで24が一番好きだし、12は24の1/2なので、なんとなくうれしい。2・4は色ならば青・赤です。性別なら男・女、年代なら小学生・20代前半です。冷酷な正義感と情熱が共存してる清潔感のある数字だから好き。*1

おせち嫌いな夫と二人だけで自宅で過ごす正月は「正月感」は極めて薄いです。夫は餅さえ食べられればそれでいい。わたしは酒さえ美味しく飲めればいいです。それでもやっぱり年越しそばは食べました。今年もへぎそば。わたしは30日にAさんたちと深大寺の「湧水」でフライングそばしたため、二度年越しそば食べました。

正月休みは年を越すまでが楽しい。元日を迎えてしまうとすぐ仕事が始まることを考えてしまうし、日々が連綿と続くような錯覚をして気が遠くなる(普段、先のことを考えないので毎日が続くという感覚が希薄なのです)。

ツイッターのTLでは石井ゆかりさんの占いが人気で、わたしは朝一番にその日の占いを読むのがとても苦手なのでフォローはしてませんが*2今日、石井さんの年間占いがアップされた旨のRTがTLに出ていたため、今年のやつではなく、去年のものを読みました(笑)*3

2011年のような年には、ものごとの因果関係がよく見えないのだろうと思います。スイッチを押せば灯りがつく、というような直線的な結びつきが読めないため、時には不安になったり、努力が徒労のように感じられたりすることもあるかもしれません。
人間は、自分で思っている以上に「自分の力でなんとかなる」という自負心が強いようです。でも本当は、自分の力で出来ていることなどそれほど多くはないのかもしれません。かといって、何もしないでいていいかというと、そういうわけでもありません。
おそらく、「こう押せば、ここが出っ張る」というような一対一の関係ではない、もっと大きくてダイナミックな仕組みの中で私たちは世界に働きかけ、世界から返礼をうけとっているのかもしれません。

読んでドキっとしました。去年はまさに因果関係というか、いままで考えも及ばなかった社会の繋がりをとくに意識した年でしたから。災害や事故をきっかけに、平穏だったらなんにも考えずにいたことをいざ知ると、思ってもみなかったところにも影響があることに驚いたり…自分の幼稚さにイヤってほど気づかされた一年だった。

“10円銅貨のなかにあって、銅のちいさな塊のなかにはない、「目に見えない力」”というフレーズにもなんとなく思い当たることがある。

去年痛感したことは、わたしがいままで深く思考もせず努力もせず、そのときどきの幸運に任せて渡り歩いてきたこと、それは根拠のないもの、わたしの弱さであるということ。
今年はどうしたいか。今さらだけど、根拠になるだけの努力をしたい。「努力」という文字はわたしの辞書にはないの、とずっと嘯いていたけれど、自分のなかの審判員を厳格化して律したい。まずは知りたいことをちゃんと勉強しよ。

*1:これはわたしの勝手なイメージつけです。数字の並びによってきれいなものと、そうでないものがある。

*2:民放の朝の情報番組を視聴しないのも占いコーナーが必ずあるから。一日終わってから読むのはわりと好き。「お遊び」とわかっていても先入観に縛られるのがイヤなのか。朝読んだものを覚えてないといえばその通りではあるんだけど、なんとなく回避してます。

*3:http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/wh2011/clearwhite_nocolorgemini.html