占いみたいなもの

またも夫が2泊3日の出張へいってしまった。しょぼんとしつつも、昨日のうちに食料を買い込んでいたので今日は一歩も外へ出ず家事もせず、昼寝と読書に費やした。今日は寒かったんですって?ずっと布団に入ってたから、わからなかったわ(このオンナ…)

昨日書いて久しぶりに思い出した入院体験。こどもの頃にも喘息で入院したことがあったけど、大人になってからは初めてだったから、他の入院患者のことや看護師や医師のことなど見ていていろいろ思うことがあった。そのなかの一つが「治療っていうのはつまり占いみたいなものだなぁ」ということ。占いというのは統計だと聞いたことがあり、星座でも手相でも生まれた日やシワの特徴で「こんな傾向の人が多いよ」ってことで、すべての人に当てはまるわけではない。治療も同じで「これを処方すると改善する人が多いな」という積み重ねでしかないのよね。
占いだとみな当然に理解しているのに、現代医療の場合は「絶対的な何か」だと信じてる人が多いような気がした。というか、わたしが漠然とながらそう思っていた。「薬を飲めば治る」と。でも薬が効く人もいれば、そうでない人もいる。当時ステロイド剤がほとんど効かなくて、だから余計に薬が加持祈祷に代わってもそんなに差がないんじゃなかろうか、そういえば祈祷をする僧侶とかシャーマンがお医者だった時代や地域があるものね、とうっかり納得しちゃったり(笑)

ずいぶん乱暴な言い草だけど、患った病気が原因も治療法も「なんとなく」でしか判らないというものだったから、そういう印象になってしまった。「切ったら治る」とか「固めたら繋がる」というような判りやすさがなかったために。でもそれがきっかけで、医療に過度な期待を持たず、かつ自然療法(祈祷とか?)にも傾かず、症状を受け入れていくこと、治療における中庸を知ったような気がして、それは良かったなと思っている。母親は「なんで?なんでこんな病気なったの」とやたら原因を知りたがったけど、病気に原因なんか果たしてあるのか?病気になるときはなるんだ、残念だけど。しかし母には言わなかった。